ベーシック・インカムの答え

2009年11月 1日 23:58

自分に何かを問うようにベーシック・インカム・プロトタイプの決算を毎月書いていた。実際にお金をもらっているわけではないにしても、貰っていたら今の生活の価値観にどのような変化があるのかと、継続して考える上で毎月思い出すくらいの効果はあった。

それが実現したときに人の尊厳がどうなるのか考察したいと考えていたのだが、お金を貰っていたとしても今までと変わりがないと感じている。これまでのフリーター生活でもお金に対しては無頓着で、生活が回るかどうかさえ確かなら後は気にしていなかった。むしろ生活が回らなくなるギリギリの方が、お金を工面しようとするときに手段を選ばずお金を手にしようとする心理的な変化が見れておもしろいと感じていた。

労働についてもそうだ。そもそも二十歳からの十年をフリーターとして生きると決めたのも社会の中で普通に働くことを理解しておきたかったからで、労働は尊厳の所在ではなかった。だからベーシック・インカムによって労働に対する価値観の変化があるのかを見ることができない。

だが、ふと気がついた。お金に無頓着でも私は仕事をすることをおもしろいと感じている。これは仕事を通して得られる経験に価値があるからだ。フリーター生活の中で半年から一年程の仕事をしていない期間が何度かあったが、その時に感じていたことは生活が回らなくなることに対する不安よりも、おもしろい仕事に就けないことに対する不快感だ。

昔、私は肉体労働をしていた。還暦を越えている人も同じ仕事をしていたので、その経験から体さえ健康であれば生きて行くことに困ることはないという自身を得ることができた。しかしそれは知的労働という新たな経験により肉体労働が退屈であるということを知ることになる。だから過去に経験があるからといっても、退屈な肉体労働には戻れないのだ。

これと同じ理由で恐らくベーシック・インカムで得られる体験において人としての尊厳は得られない。むしろ仕事をするのは生活の為という理由が減ることになり、社会参加の機会を得られないという意味で尊厳を失うと感じられるだろう。

後戻りができない状況は人に進化することを迫る。生まれ、食い、育ち、働き、出会い、交わり、生み、食わせ、育て、死して終わるまでの肉体労働という経験を人類は得ているが、問いという知的労働を経験したことで、答えという報いを受けることになる。

人が人生の意味や価値を問わず、尊い存在であるとしてすべての者に生きるだけの糧を与えることは確かに尊厳であるが、人生の意味や価値に対する答えは得られない。

さて、そんなわけで考察は終了。もう十分考えたので決算の報告も終了でーす。

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