治癒の理(ちゆのことわり)

2009年8月 2日 18:54

子供の頃は瘡蓋が落ちるというのをよく目にしていました。

血の理(ちのことわり) - edry(えどりぃ)の粋狂

子供の頃に、怪我したところが治癒されていく様を見た記憶がある。

怪我をしたときに血が流れ、傷口を水で洗い流してティッシュで大方拭き取った後に絆創膏を貼る。しばらくすると血が渇き瘡蓋となる。瘡蓋をすぐに剥がすとまた血が流れてしまう。だから瘡蓋はしばらく触らずに放っておく。瘡蓋はやがて自然とポロポロ剥がれ落ち、その頃に残りの部分も剥がしてみると真新しい皮膚がその下に形成されていた。それは自然とも言える。自分の体に備わった治癒の力。

大人になると目から鱗が落ちるのをよく目にします。

404 Blog Not Found:体育会系から理系へ - 書評 - 傷はぜったい消毒するな

てっきり湿潤治療はすでに定番として確立していると本書を読むまで思い込んでいた。というのも、我が家の娘達--特に長女--は、子どもらしくしょっちゅうけがをするのだが、都度湿潤治療を受け、その直りにいつも感心していたからだ。

今の子供は治癒の理を知るのですね。

未来の子供が目にする治癒

今はまだロボットがコーヒーを淹(い)れるのも一苦労だけど。

そのうち人が自分の瘡蓋を見る機会が減って、ロボットの瘡蓋を見ることになるのだろうか。

「自己治癒」する飛行機:「出血」して「かさぶた」を作成 | WIRED VISION

飛行機も年を取ると、その表面にはやがて小さな穴やひびが現れてくる。整備士は、定期的な保守点検でそうした問題を巧みに見つけ出すが、英国で開発中の、生物の自然治癒を模倣した技術を利用すれば、自己修復する飛行機が生まれるかもしれない。

英国工学物理研究会議(EPSRC)の研究者は、負荷がかかったり、傷がついたりしたときに樹脂成分を「出血」し、その後「かさぶた」を生成して傷を修復する複合材料を開発している。

自然から学び、親から子へ、子からロボットへ、様々な理が伝えられていく。

その先でロボットは何を見るだろう。

ロボットの理(ろぼっとのことわり)

ロボット工学三原則 - Wikipedia

・第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

・第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

・第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

これはロボットがどうすべきかではなく、ロボットを作る人間に対する理想だろうか。

私の母は躁鬱病なのだが、母からの手紙で躁鬱病の始まりについて知った。私が母のお腹の中にいた頃、父は心臓の手術をしていた。新しい命が誕生するときに頼りとなる父の手術は不安もあったろう。父の手術は成功し、私は予定日より10日遅れての誕生となる。破水後に病院で引っ張り出してもらったそうだ。3600gもあり大きかったという。

その後、詳しい病名は書かれていなかったが、父方の祖母が手術後に脳死状態となる。母の手紙では文脈が遠い記憶を探るように前後していた。手術は成功したが思わしくなく植物状態になってしまい、植物状態18日目にして心臓が止まった。脳死状態の祖母は生命維持装置が付けられていたが、当時の事お金も沢山かかっただろうと振り返る。

当時は電話がうちにしかなくて昼夜に関わらず「もう死んでいるのに可哀想、機械を外しなさい」とか、その他諸々言われ、眠れず考え込んで頭が破裂しそうだったという。1980年1月29日に私が誕生し、祖母の命日が1980年6月3日となるまでの間…私が誕生して百日記念を迎える頃、母は記憶をなくし病院に入院していた。

ロボットならどうするだろう。「もう死んでいるのに可哀想、機械を外しなさい」と言われたら、命令に服従する前に生死の判定に困るだろう。困ったらどうなるだろう。自己を守れるだろうか。自己があるなら生死の判定を自ら決めなくてはならなくなる。それこそ自由だ。たとえ命令されたとしても服従はできない。

私の母は自由になった。しかし、幼い子供を残して病院で生活することに対し母は言う「なさけなし!」そんな日々を過ごすことになる。それは長く辛い日々であるがそれでも母は生きている。

私が子供の頃に見た母は、台所で水浴びをしたり毎日泣いていたりと常軌を逸していたが、それは壊れている人間ではなかった。まさに人間の生き様であり、自由であるが故の生命であった。

地球の理(ちきゅうのことわり)

小さな傷なら自然に任せてもいい。

月から見た地球は美しく、傷だらけには見えないが確かに疼く。

泣きながら生きてきたからこの地球の水は辛い。それが傷に沁みるのは涙を感じているから。

涙の理(なみだのことわり)

初めて覚えた気持ちの伝え方は涙を流して泣くことだった。

いつしか忘れたのは涙を流して気持ちを伝えることだった。

それでも涙を流す方法は覚えているがなぜ泣くか解らない。

笑顔の理(えがおのことわり)

笑顔になる方法が分からないときは笑顔の誰かに教わろう。

誰かが笑顔になる方法を忘れてもなぜかしら笑顔は伝わる。

いつしか忘れてた笑顔は誰かの気持ちを感じることだから。

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