今日の面接で会ったサラリーマンには個性があった
2009年2月27日 23:59今朝アルバイトの面接に行ってきた。
今までは、自分にできる範囲であまり責任の無い仕事を探していたけど、今回はリーダー候補としての募集に応募して自分を試してみることにした。
大企業の名が社名に付いているお堅い感じの会社で、募集の内容を見ただけでも自分が受け入れられる筈がないと思ったし、面接の前に適性検査があると知っただけで逃げ出したくなる自分がいた。
面接会場で案内を担当する女性は知性的で綺麗な人だった。案内の態度はしっかりとしていて、溌剌とした喋り方や笑顔を見ていると自分を卑下せずにはいられなかった。
ちなみに、惚れてないよ。
私は子供の頃から学業を怠っていたので、漢字も碌に書けないし、計算にしても式が頭の中に浮かばない。適性検査では知能・学力・性格の検査が行われ、その問題を解きながら自分の無力を痛感したし、性格が歪んでいることを自覚せずにはいられなかった。
これまの仕事はそんな自分を避けるように、肉体労働か、パソコンが少し使えればできる仕事をしてきた。パソコンなら漢字も変換するだけだし、計算もパソコンの得意とするところだから、ずっと逃げることができたのかもしれない。
そして次に、一見しただけで中間管理職の鏡である事が判る真面目な中年男性と面接をした。
今回応募した仕事内容の説明をしてもらった後、自分がこれまでしてきた仕事について話をした。そして、今回の募集がリーダー候補であることについて、自分がその仕事をやっている姿が想像できますかと問われた時、頭が真っ白になりそうだった。
面接で話をしながら、男性が賢くて真面目であることを感じると同時に、左手の薬指にある指輪が、家庭を支えていると物語る。
『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠(汎適所属)
『世界にひとつだけの花』とは対照的な、容赦ない娑婆世界が、眼前には広がっている。そして、"花屋に並ぶ花"にもなれず、ナンバーワンになることも出来なかった者達の怨嗟の声が、今日もインターネットに響きわたる。
『使えない個性は、要らない個性。』
この、目を覆いたくなるような娑婆の現実から敢えて目を逸らして、飽くなき個性の肯定を叫んだ人達の功罪や、いかに。
劣等感。これが人を成長へ駆り立てる。しかし、駆り立てているのは目の前の真面目な男性でもないし、案内をしていた知性的な女性でもない。私だ。
相手に対して個性を確かに感じている。その個性があるからこそ社会が廻っている。そして、その隙間でネチネチした感触の薄汚れた油があることも感じている。それが今の私だ。
飾るだけが花じゃないよ。功罪なんて問わないで自分を信じてみるといい。
でもね。
自分の道を疑ったらそこまで。
人生がたった一つだと気がついた時、前に進むことができるようになる。
いや、前に一歩進んだとき人生がたった一つだと判ると言うべきかな。
面接から帰って家に着いた後「他で採用が決定したので辞退します」と告げた。
